“Ippuku?”の友人 ― イタリアとタバコの思い出 ―

2000年代前半、イタリア南部のレッチェという地方都市に語学留学をした。通貨がリラからユーロに代わって間もない頃で、私が知り合ったイタリア人たちは便乗値上げにみな不満をもっていて、“Costa doppio!”「(値段が)倍になった!」という言葉をよく耳にした。それでも私にとっては、日本に比べれば少し物価は安いかなという印象があった。ただし、日本に比べてこれだけははっきり高いな、と思ったのがタバコだった。当時の日本では1箱300円程度だったタバコが、イタリアでは500円以上はしたように思う。高いな、とぼやきながら家の近くのタバコ屋で1箱また1箱と買っていた。

その頃の私といえば、意気込んでイタリアには来てみたものの、通っている語学学校はもともと小さいのに加えてシーズンオフの時期のため学生が少なく、また肝心の語学力もいまいちだったために友人ができず、1人で過ごす時間が長かったことをよく覚えている。時間を持て余していたからだろうか、喫煙者の私はしょっちゅう1人でマルボロを吹かしていた。そんなときに語学学校の喫煙所で知り合ったのが、コンピュータ管理担当の学校職員ジョバンニだった。年は30歳くらい、細長い眼鏡をかけて痩せた洒落っ気のあるお兄さんで、どこから来たのか、今どこに住んでいるのか、イタリアは気に入ったか、などと気さくに話しかけてくれた。それ以来ジョバンニは私の「タバコの友」となり、何かというとタバコに誘ってくれたり、逆にこちらから誘ったりする仲になった。あるときこんな話をした。

「日本語ではタバコに誘うときはなんて言うんだ?」

「Ippuku shiyou (一服しよう)かな」

「どういう意味だ?」

「“Una fumata”(「一服」)ってことだよ」

「OK、それじゃあこれからタバコのときは“Ippuku?”って呼ぶからな」

それからは2人で暗号のように“Ippuku?”と言いあってタバコに誘い合うようになった。それで互いに気心が知れたというのもあって、タバコ以外のときでも、他愛もない話をしたり、頼んで利用時間外のパソコンルームを使わせてもらったり、彼の愛車で家まで送ってもらったりもした。お前はいつも1人なんだな、と言われて、まぁね、などと答えていたように思う。

留学が終わりに近づき帰国が迫ったある日、いつものように2人でタバコを吹かしていて、もうすぐ日本に帰るんだよねというと、彼はちょっと黙って、
「じゃあこれやるよ」_
といって自分の使い捨てライターを差し出した。私は笑ってグラッツィエと言ってそれを受けとった。

翌年、当時在籍していた大学の都合で2週間ほどイタリアで調査をすることになり、時間を見つけて学校に立ち寄った。ジョバンニは変わらずそこにいて、戻って訪ねてくる奴はなかなかいないんだぜ、と言って喜んでくれた。もちろん、そのときも一緒にIppukuした。

 

日本に戻ってからはせわしない日々が続き、時間は飛ぶように過ぎていった。再びイタリアを訪れる機会を持てず、気が付くとすでに20年という歳月が流れていた。その間、世間では分煙・嫌煙意識が高まり、以前のように気軽にタバコを吸うことはできなくなった。私自身も、タバコ代の値上げや喫煙所の縮小といった流れに押されるように、そしてなにより、タバコを吸うと喉に痛みを感じるようになってしまい、いつの間にか喫煙をやめてしまった。
それでも、「一服」という言葉を聞くと、タバコばかり吸っていた留学時代を懐かしく思い出す。
あの日ジョバンニからもらったライターは、今でも自室の机の中にしまってある。

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