最近、日本人女性の北京での生活をコミカルに描いた小説『パッキパキ北京』(綿矢りさ著、集英社、2023年12月)を読んでみた。フィクションでありながら著者自身の滞在経験も盛り込まれおり、私も以前勤めていた企業の北京支社に駐在していたことがあるため、共感できる点が多かった。その読後感を書いてみようと思う。
主人公の菖蒲(あやめ)は北京に赴任している夫と生活するために、日本を離れ中国に向かうのだが、生来のサバサバした物怖じしない性格で、中国でもショッピングを楽しんだり現地の大学院生カップルとも積極的に交流したりする。一方で、夫は北京に駐在して3年も経つのに、中国生活になじめないで「適応障害気味」になっている。対照的な性格の二人のコントラストが面白く、話の陽と陰が交互に入れ替わるためリズミカルな印象を小説に加えているように見える。
タイトルにある「パッキパキ」は、北京市内の川や湖が凍る様子に由来している。北京の冬は一日中氷点下になるため、街中がパッキパキという雰囲気が分かる気がする。市内を流れる亮馬河(liàng mǎ hé)に大きな石を「投げつけるとパッキーンと音がして、分厚い氷の表面に傷さえつけられず、石は遠くへ滑っていく」という描写が出てくるが、私もカチカチに凍ったその川の上にレンガや木の枝葉が乗っているのを見たことがあった。小説には描写がないが、夏は逆にとても暑く、この川で泳いでる人を見ることができた。亮馬河は朝陽区という地区を流れているが、周辺には日本人駐在員がたくさん住んでいて、日本人向けのレストラン、美容院、マッサージ店なども多い街だ。
北京は「市」と言うものの省と同レベルの行政区分で、東京都の約7倍の面積があり、とても広い。世界遺産の万里の長城も市北部に位置している。市の紹介でも面白い表現がある。「北京は故宮を中心に同心円状に環状線が走っていて、内側に行けば行くほど豊か、みたいなヒエラルキーがあり、私たちの住んでいる場所はそれほど外側ってわけじゃないけど、それなりに劣等感を感じる」とある。この感覚はよく分かる。市中心から一環路、二環路、・・・六環路というふうに道路が敷設されているが、中心に行くほど住宅や土地の値段が上がり、自家用車の乗り入れも規制される。市の真ん中は「中南海」と呼ばれる政府中枢の建物群で、天安門広場を囲うようにして、かつての皇帝の住居の故宮、現在の立法機関にあたる人民大会堂、毛沢東の遺体を安置する毛主席記念堂などが置かれて、庶民にとっては雲の上のような存在に見えた。
菖蒲がロバ肉(中国語では驴肉lǘ ròu)を食べるという話もなんだか好きだ。私もロバ肉を提供する大衆食堂に入って鍋を食べていた。お店の中にはロバの写真が貼られた看板が飾られ、その周囲には肉の栄養素の豊富さが宣伝されていた。私は元々中国文化に興味があったので、現地の庶民の生活にも違和感なく接することができたのかもしれない。主人公と似ているのかなと思うと嬉しかった。
一方で、旦那さんの気持ちもわかる。北京駐在時は約15人の中国人スタッフと一緒に仕事をしていたが、日本人は私1人で、言葉を理解できない時や文化の違いに戸惑った時に孤独感に襲われることもあった。そんな時は、週末に五道口(Wǔ dào koǔ)駅という学生街の日本人向けマンガ喫茶に行って、半日くらいぼーっとして過ごした。ここでは日本の漫画や週刊誌、新聞が豊富に揃えられていて、当時流行っていた『進撃の巨人』を読んだり、日本風のカツ丼を注文したりしては現実から逃避していた。
外国だから当たり前だけど、中国人と日本人は考え方がかなり違う。喜怒哀楽は日本人の3倍くらいある気がするし、日本人のように言葉や感情をオブラートに包んだりすることも少ない。以前、北京で会った日本人駐在員から「中国の人は見た目が似ているから、私たちと同じ考え方をすると思ってしまう」と聞いたことがある。言い得て妙だなと思った。欧米やアフリカの方だと肌の色や髪質も違うので、考え方の違いがあって当たり前という良い意味での先入観が生まれるが、本小説の言葉を借りれば、見た目が「同じアジア人だから日本人とよく似てる」ので、考え方も似ていると錯覚してしまい、その違いに直面した時、結構面喰ってしまうのだ。
小説の終盤では菖蒲のさらに自由奔放な行動を見ることができて面白いので、興味を持った方は是非ご覧いただけばと思う。
中国にいるときにできなかったことも、この小説が思い出させてくれた。ハルピンの氷上祭りにも行きたいし、菖蒲の好物の「蟹みそより濃厚な味」のアヒルの脳みそにも挑戦したい。個人的には、このような両国を股にかけたコミカルな小説が映画化されると、日中のポジティブな交流を促すことができるのではないかと思った。
また、今年ももうじきパッキパキの冬が中国にやってくる。いつかまた体験しに行きたい。
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