スペインのバスク地方 ~男たちの美食俱楽部~

スペインのバスク地方に、男性の会員のみで構成される美食俱楽部があるのをご存知だろうか?私は7年ほど前に、雑誌でスペインの港町サン・セバスチャンにある美食倶楽部が紹介されているのを読み、興味を持った。そこにはおなかがぽってりしたおじさんたちが、エプロン姿でキッチンに立ち、楽し気に料理する姿が載っていた。

日本にも料理上手な男性はいるが、私の世代といえば高校1年生の時にようやく男女が家庭科を共修するようになったため、男性が好んで俱楽部を結成して料理を楽しむ文化にちょっとした衝撃を覚えた。雑誌に載っていたサン・セバスチャンの風光明媚な港の写真を部屋の壁に貼り、いつかバスク地方を旅したいと思うようになった。今回は美食倶楽部、バスク地方、そして実際に旅した時の印象を書きたいと思う。

  • 美食俱楽部とは?

美食俱楽部は19世紀末頃からバスク地方の各地で生まれ、現在ではサン・セバスチャンだけでも200ほどある。1939年から36年間続いたフランコ政権下、バスク地方は激しい弾圧を受けたが、美食俱楽部は政治的な集会の場として密かに存在し続けた。

その後は男性たちが家庭のわずらわしさから離れてソーシャルライフを楽しむ場となった。資金を出し合って場所を借り、キッチンを改装し、良い食材が手に入ると集まって料理をする。フランス料理のような手の込んだ料理はせず、季節の食材を活かしたバスク伝統の調理法(炭火焼きや、干し鱈を土鍋に入れ、オリーブオイルと一緒に弱い火でゆっくりと乳化させる「ピルピル」など)で料理し、食しながら談義を交わすのが主な活動である。70年代まで女性は立ち入り禁止だったが、現在は女性を招待するのは許されている。

少し話が逸れるが、私は大学2年生だった1997年に1年間マドリードに留学した。その時同居していたサラリーマンの1人は、スペインのバスク地方ビルバオ出身だった。バスクの男性は料理上手というが、たしかにそうだったな…とキッチンに立つ彼の姿を思い出す。翌日の昼食のために前日から豆(レンズ豆やひよこ豆)を水に浸すなど準備に余念がなかった。大抵の料理はスパイスを専用のすり鉢ですり、にんにくをオリーブオイルで炒めるところから始まる。豆と豚肉の煮込み料理をよく作っていたが、ガールフレンドが遊びにくる週末には、かたまり肉を岩塩で塗り固め(アルミホイルで包むと肉が熟成するのだとか)嬉々として準備する姿に、料理を通して生活を楽しむ様子が垣間見えた。

休日は電車やバスを利用してマドリード近郊を旅し、その土地の名物をバルで食したり、建造物を訪れるのが好きだった私だが、当時はスペインからの独立を求める急進派が起こすテロ事件がスペイン国内で起き、安全面の不安から、バスク地方を旅することはなかった。

  • バスク地方とは?

ピレネー山脈の両麓に位置し、ビスカヤ湾に面するフランス側3県とスペイン側4県の計7県。バスク語を話し、1つの「国」として独自の文化を守っている。ピカソの作品で知られる「ゲルニカ」はスペインのビスカヤ県にあり、先ほど触れたフランコ政権下ではドイツ軍による無差別攻撃を受けた。「ゲルニカ」はその惨状を描いたものである。

近年バスク地方は山と海の幸に恵まれた食材の宝庫であることから、美食の地として注目を集めている。「シードラ」と呼ばれるリンゴ酒や、「ガトーバスク」と呼ばれる焼き菓子など、郷土料理からスイーツまで多種多様なグルメが揃っている。近年人気のバスクチーズケーキは、サン・セバスチャンのバルが発祥である。

  • スペインバスクの町の紹介

・ビルバオ(ビスカヤ県)

バスク地方の産業と文化の中心地。かつて鉄鋼・造船業の町として栄え、1980年代には重工業の衰退と共に町は不況に陥った。その苦境を打開するためにアートによる都市再生プロジェクトが策定され、グッゲンハイム美術館をはじめとする前衛建築群と旧い街並みが調和した町へと生まれ変わった。河川環境が改善され、遊歩道・自転車道・公園が整備されており、河川を通る心地よい風を感じながら散歩できる建築とアートの町である。

旧市街に歴史あるバルが並ぶ一方で、新市街のバルは電光掲示板にメニューが書かれているなど、新旧の文化が融合したおもしろい町だと感じた。地元の人であふれかえる新市街の人気のバルの端っこでモジモジしていると「ここのハモン・イベリコは絶品なんだから!絶対に食べなきゃだめよ。」と親切に席まで空けてくれた地元のおばさまが印象的だった。バスクの女性は気が強いと聞いていたので、つかつか向かってきたときは怒られる!と咄嗟に思ったが真逆の対応で、おせっかい好きの肝っ玉母さんの印象だった。

・サン・セバスチャン(ギプスコア県)

「ビスカヤ湾の真珠」と称されるリゾート地。19世紀には貴族の避暑地として親しまれた。バスク地方のなかでも特に美食の地として知られ、ミシュランの星付きレストランも数多い。旧市街はバルが道を埋め尽くすように並び、夜になると外まで人が溢れかえる。バルには「ピンチョス」という小皿料理がカウンターに所狭しと並ぶ。どのお店もそれぞれに工夫を凝らしており、ひとつとして同じものがない。食の本質を知り尽くしたバスク人が作るピンチョスはどれも絶品だった。

チャングロ蟹の味噌が入ったパイなら「GANBARA(ガンバラ)」、エビの串焼きなら「GOIZ ARGI(ゴイス・アルギ)」、きのこと生ハムなら「LA CEPA(ラ・セパ)」というように、それぞれのバルに名物があり、数種類つまんで次のバルをはしごするスタイルで、地元の客も観光客も関係なく皆が食を楽しむ時間が流れていた。(小イカのソテーを頼むと「何それ、美味しそう!俺にもくれ!」と隣の人がオーダーする感じ)その様子を「どうだ、美味しいだろう!」と満足げに眺めるカウンター越しのカマレロ(店員)の姿が印象的だった。

この2つの町はバスクを代表する町で、ほかにサン・セバスチャンからバスで行くアシュペ村やフランスのバスク地方サン・ジャン・ド・リュズへも足を延ばしたが、今回は代表的な2つの町の紹介するところまでにしたいと思う。

美食倶楽部をきっかけに知ったバスク。その食の豊かさに感動すると同時に、食をとおして楽しいひと時を持つことに幸せの価値を見出すバスク人たちに出会った。コロナ禍となって3年近くが経ち、町で出会った人たちは元気かな?お店は続いているだろうか?とふと思い出す。またバスクを訪れる日がくるまで、しばらく家族と作る料理と時間を楽しもうと思う。

参考:「ku:nel」クウネル2005年3月1日発行

最後まで記事をご覧いただき、ありがとうございます。

株式会社イデア・インスティテュートでは、世界各国語(80カ国語以上)の翻訳、編集を中心に
企画・デザイン、通訳等の業務を行っています。

翻訳のご依頼、お問わせはフォームよりお願いいたします。
お急ぎの場合は03-3446-8660までご連絡ください。