場所はフランス西部のとある街、アンジェ。
料理の腕が自慢のホームステイ先のマダムがある日の夕飯に出してくれたのは、水菜や春菊に似た細長い草のサラダだった。
水菜にしては色が濃いし、春菊にしては葉の拡がりが少ない。初めて見る野菜だ。
マダムに思わず「これは何?」と聞くと
「Salade de pissenlit(サラダ・ド・ピサンリ)よ」との返事。
隣の席では、一緒に暮らす留学生が大のピサンリ好きらしく、山ほど自分の皿に取り分けて食べ始めている。
どんなものかと恐る恐る食べてみると、ほろ苦い味、しゃきしゃきとした何とも言えない食感。
自家製ドレッシングとの相性が最高!なんておいしいんだ!ピサンリとドレッシング、たったそれだけなのに!
私はあっという間にピサンリの虜になった。
そして私が気に入ったと分かったマダムは、その後何度もピサンリのサラダを食卓に出してくれるようになった。
そのうち、ピサンリとは一体どんな形で、どんな風に売られているのだろう?どんな野菜の仲間なのだろう?と気になってくる。
週末にマダムと一緒にマルシェ(市場)に行くと、水菜の3倍くらいのもさもさとした株状のピサンリが山積みになっているのを目にした。なるほど、売られているときは水菜のような形なのだな。やはり水菜の仲間なのだろうか。
そして不思議なことに、ピサンリはスーパーでは売られていないのだった。
しかし、マルシェでは農家が直接出店したりもするので「ピサンリはマルシェでしか売れないくらい、新鮮度が重要な野菜なのかな」くらいに思い、そこまで気に留めなかった。
1年のホームステイも終わりに近づいてきたある日、帰国前に食べておきたいフランス料理は何か、とマダムが私にたずねてくれた。
「やっぱり、ピサンリのサラダは食べたい。あれは日本では食べられない」
「え、そうなの?タンポポって日本には生えていないの?」
「え?タンポポは生えているけど?」
きょとん、とする私にマダムは
「実は、ピサンリはタンポポのことなのよ。花が咲いちゃうと固くなっちゃうから、花が咲く前に根元が白くて柔らかいうちの葉を株ごと取るの」と言った。
えっ…。私ずっと、タンポポを食べていたの…!?
衝撃を隠せない私の顔を見て、マダムは大笑い。
辞書を引いてごらんなさいと言われて見てみれば『pissenlit ― せいようたんぽぽ』、用例のトップにはなんとsalade de pissenlitと書いてあるではないか。
フランス語でタンポポは通称『dent-de-lion(ダンデリオン)』なので、ピサンリがまさかタンポポだとは思いもよらなかったのだ。
タンポポの葉と言われてみると、スーパーの葉物コーナーに売っていないのも何故だか合点が行くような気がした。
「でもやっぱり、あんな新鮮なタンポポなんて日本では見たことないよ」という私にマダムは提案してくれた。
「そんなに食べたいのなら、一緒に新鮮なピサンリを採りに行こう」
後日、いつもよく遊びに行く知り合いの農家にお邪魔した。まだ春と呼ぶには早い、2月のことだったと思う。
「ここの畑よ、ピサンリが生えているのは」
と言われ畑に連れていかれると、畑とあぜ道との境を中心に、そこかしこにピサンリが生えている光景が目に飛び込んできた。
おお、こんな風に生えているのか!
畑の中心にはなかったので、わざわざ植えたというよりは自然と生えてしまったのだということも分かる。
そして目の前のピサンリはやはり、道端の堅い土を頑張ってこじ開けて這いつくばるように葉を拡げているような、私の知っているタンポポではなかった。ふんわりした土の中から想いのままに天に向かって生えている、みずみずしく柔らかな葉だ。
マダムは鎌を片手にピサンリを株ごと、ザクザクと収穫していく。いつかマルシェで見たのと同じように、一株で水菜の3倍くらいのボリュームがある。
これがタンポポだなんて…信じられない…。
採りたてのピサンリは、その日の晩ごはんにたっぷりいただいた。
心なしか、マルシェで手に入れるものより力強い感じがした。
日本ではこんな新鮮なタンポポに絶対出会えないもの、食べ納めだ、と惜しむように味わったのを覚えている。
あまりに好きなので、今でも道を歩いているときに根元が白くて柔らかそうなタンポポの葉を見てしまうと「これだったら食べられるんじゃないか」と思ってしまう。
(とはいえ除草剤がかかっている可能性もあるし、タンポポと思いきやまったく違う草だったりしたら…と考えると怖くて食べたことはないが…。)
ところでフランス料理と言えば格式が高く、さぞ色々な調味料を使っているのだろうと思われる方も少なくないかもしれない。私もその一人だった。
しかしマダムの作ってくれる料理の味付けは基本塩コショウ。パセリやエシャロット、にんにくなどの香草を使うくらいのシンプルな料理だった。なのにメニューが豊富で、どの料理もおいしく飽きることがなかった。おかげで6-7キロ太った。
高級レストランで出てくるような手間のかかった、繊細なフランス料理は確かに存在する。しかし後に知ったのだが、家庭的なフランス料理の味付けは基本塩。食材のバリエーションのほうが豊富で、その食材のうま味を塩で最大限に引き出すのが大切なのだそう。それはマダムの料理そのものだ。
食材のバリエーションが豊富と言われてみれば、確かに地元で手に入る食材なら何でも料理にするイメージだ。魚介類、鴨、子羊やカタツムリ(エスカルゴ)から日本人にあまりなじみのないウサギ、ハトやカエルも使われ、豚の血ですらソーセージになって売っている(このソーセージもまたおいしい)。こんなに色々食べるのよ、と言わんばかりにマダムは色んな食材を使って私にごちそうしてくれた。
ピサンリのサラダも、地元で採れる食材のうま味を活かした、フランス料理を象徴しているレシピのひとつと言えるだろう。
ここで私がよくいただいていた、ピサンリのサラダ・レシピをご紹介する。
1) ピサンリの株から根を切り落とし、葉をよく洗い水を切る。
2) ドレッシングの材料をよく混ぜる。
- ひまわり油大さじ4
- 赤ワインビネガー大さじ2
- ディジョン粒なしマスタード大さじ1
- 塩コショウ少々
(注:マダムがちゃんと量っているのを見たことがないので大体こんな感じだろうと留学当時にメモしたもの)
3) 1)のピサンリを2)のドレッシングで和える。
たったこれだけ!
カリカリに焼いたベーコンや、クルミを混ぜ込んでもおいしいと思う。
ちなみに日本でもピサンリは手に入る。食用として遮光栽培で作られた黄色い葉のものが、フランスから輸入されて春先に出回っているようだ。輸入野菜のため、気軽にお試しをおすすめできないくらい結構値が張るようだが、機会があれば是非食用ピサンリをご賞味いただきたい。
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