2006年の夏から中華人民共和国の山東省済南市(中国語ではJinan)に1年間留学をしたことがある。当時はまだ夏季北京五輪前であったこともあり、ノスタルジックな雰囲気や様々なカルチャーショックを感じることができ、面白かったことを覚えている。今回は観光向けとは少し違う角度から、日本人になじみのない済南市を紹介したい。
山東省は中国の東沿岸部から三角形に突き出た山東半島の先端に位置している。省都の済南市は人口600万人ほど(当時)で、すぐ北を黄河(Huanghe)の下流が流れている。済南市は泉の街とも呼ばれ、中心には「泉城广场」(Quancheng guangchang)という公園があり、泉の漢字をかたどった大きなモニュメントが置かれている。北京や上海といった大都市のような地下鉄は整備されておらず、自動車やバスでの移動が一般的である。自動車はドイツのVolkswagenが多く走っており、時々トヨタなどの日本車も見かけた。当時は中国国産車はあまり見かけなかったが、奇瑞汽車という自動車メーカーのQQというてんとう虫のような可愛らしい外観の小型車が時々走っていたのを覚えている。タクシーの初乗り代金は7.5元(当時のレートで約120円)と日本と比べると気軽に利用できる安さであった。信号が赤でも他に車が来なければそのまま止まらず疾走する車が多く、タクシーに乗車していると恐怖心が伴うこともあり、車やバス、バイクなどの接触事故を目にすることも少なくなかった。
歩道では、昼間からずっと将棋やトランプばかりしている人たちもいて、普段はどんな仕事をしているのか気になったりした。中国語は発音が難しく、スーパー等での買い物も苦労することがあったが、大学の周りのお店は留学生慣れした人たちも多く、私の拙い中国語にも笑顔で接してくれた。その他、ロバが沢山の野菜を載せた車を引っ張って運んでいたり、公園で鳥かごを近くの木に吊るして鳴き声を楽しんでいる人もいたりと、どこか牧歌的な雰囲気を感じることができた。
食べ物でいえば、「羊肉串」(Yangrou chuan)という羊肉の串焼きのお店がそこかしこに並んでいて、留学生仲間や中国の友人と食べに行ったものだ。店先には手製のネオンチューブのようなもので「串」と書かれた目印が光っていた。私がよく通ったお店では、自転車のスポーク(車輪の軸部分から放射状に伸びるステンレスの細い棒)を加工した串にお肉を刺していて、1本0.5元(約8円)で食べることができた。肉の臭みをほぼ感じないほど、香辛料がふんだんにふりかけられていて、スパイシーでビールとよく合った。山東省の南西部には青島市(Qingdao)があり、その地ビール「青岛啤酒」(Qingtao pijiu)を飲みながら食べる羊肉は格別だった。青島啤酒は、最近では日本のスーパーでも見かけるほど世界的にも有名なビールで、さっぱりとした口当たりが特徴である。青島市はかつてドイツの租界であったため同国のビール製法が現地の人々に伝えられたのかもしれない。済南市ではもう一つ「趵突泉啤酒」(Baotuquan pijiu)というビールが有名で、こちらは市内にある「趵突泉」という泉から名付けられており、アメリカのBudweiserビールに味が似ていた。
今はもうそのような光景は見られないのかもしれないが、お店の中で酔っぱらった人たちが掴み合いの喧嘩を始めたり、赤ちゃんが急におしっこをしたりと、ちょっとびっくりするけど微笑ましくなるような雰囲気があった。
山東省ではないのだけど、世界遺産の九寨溝に行くために、四川省成都市から長距離バスで9時間揺られて移動したことがある。その途中の山奥で、「唐箕(とうみ)」と呼ばれる農具を見たことがある。日本で江戸時代に使用されていたもみ殻を選別する農具だ。当時の中国には日本社会で淘汰されたものが残っていて、どこかホッとする気持ちになれたものだ。タクシーで騙されて高いお金を要求されたり、急に電気がとまって苦労したりと苦い経験もあったけれど、現地の学生と一緒に勉強したり、春節にご実家に泊めてもらったり貴重な経験を沢山させてもらえた。
日本で暮らしていると何でも揃っていて便利だなと思うが、時々ふと思い出して、またあのノスタルジーとカオスに満ちた雰囲気を味わいたくなるのだ。
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