先日、渋谷区松濤へ出かけた際、ここまで来たのだからと日本民藝館にも行ってみることにしました。日本民藝館の設立を企画した思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)氏の名前は知っていましたが、ほかには予備知識のないまま「近くに来たから」という流れで展示物の見学をしました。あとから調べてみたところ、柳宗悦はかつて起こった民藝運動という日常の生活道具の中にある美を見出そうとする運動の父とのことで、1957年には「民藝理論の確立・日本民藝館の設立・民藝運動の実践の業績」により、文化功労者にも顕彰された人物でした。
展示物には作品名・作家名の札が添えてあり、そこで初めてバーナード・リーチという陶芸家の名前も知ることになりました。(彼の名前を目にするのは、実は初めてではなかったことは後述します。)
バーナード・リーチの作品名に書かれていた「スリップウェア」という陶器のカテゴリーのことも知らず、東洋の陶芸作品が多いなかでこのカタカナ用語が気になり同行していた知人に質問したところ、スリップウェアについてだけでなく、バーナード・リーチは柳宗悦ともに民藝運動の一翼を担ったことなども教えてもらい、興味が深まりました。
(*スリップウェア = スリップと呼ばれる化粧土で装飾を施した、ヨーロッパで作られていた古い時代の陶器の一種。)
バーナード・リーチについては原田マハさんが『リーチ先生』という小説を書いているし、バーナード・リーチご自身も『日本絵日記』という日本滞在記を出しているということも知り、これをきっかけにこの2つの作品を読んでみました。
『リーチ先生』という小説は事実にフィクションをからめながらバーナード・リーチの生涯を描いたものです。陶芸に関わる父と息子というキャラクターも加わり、彼らの物語も交えた感傷的な要素も伴いながらドラマティックに話が進んでいきます。バーナード・リーチと実際に交流のあった柳宗悦や白樺派の文学者なども登場して、とても読み応えのあるものでした。
小説『リーチ先生』によって一気にバーナード・リーチ、柳宗悦、民藝運動時代の著名陶芸家、文学者たちへの興味が増し、実際のところはどうだったのだろうと立て続けに『日本絵日記』も読んでみました。こちらは民藝運動に関係するような思想など少し難しいところもありましたが、戦後復興しつつある1952年から1954年にかけての日本の様子もうかがえる内容でした。和訳を手掛けたのは柳宗悦です。
バーナード・リーチは、1909年から1935年にかけて主に日本を拠点にして陶芸家として活動していましたが、1935年に帰英します。そんなバーナード・リーチが1952年に再来日したときの日本滞在記なので、そういった人物の視点での日本の戦前・戦後比較は新鮮なものでした。
「私がいなかったこの十八年の間に日本に起こった事柄について、私は絶えず考えさせられている。」
「変遷は非常な早さで進み、風雅なおもむきなどが珍しくなってしまった。」
そして都会に対しては
「外から見た大都市は醜く喧騒で卑俗だ。」とまでいう辛辣なコメントもあります。
一方で旅先では、「ひたむきな愛情と労苦に色どられた激しい手仕事に出会い、私は驚嘆する」というように、依然として生き続ける手仕事のなかの美を見い出したりもしています。
家具工場を訪れた際には、「素材をまったく殺してしまっているのと、生彩のない便利なだけの出来上がり」にがっかりし、「多くの手仕事が工業分野に入り込み、残っている国だけに、何かいちばん基本的致命的なもの、つまり仕事の心といったものが失われている」と書いています。生成AIが普及してきた今の時代に生きる私にとってもギクッとするようなコメントが、こんなふうにたくさん散りばめられています。便利さにばかり目が行って中身が空っぽな人間になっていやしないか?と自分を顧みる気持ちになりながら読みました。
思想についての記述も多く、それは門外漢の人間にとっては難しそうですが、和訳者が柳宗悦ですのでおそらく理想的な訳になっているのではないかと思われ、それを考えると一層この著作が魅力的なものに感じられます。
バーナード・リーチや柳宗悦の文学者たちとの交流についてはもっと知りたくなり、後日、日本文学史の教科書を引っ張り出して見てみました。彼らと交流のあったうちの一人、志賀直哉のページあたりに何か情報はないかと探してみると、掲載されていた志賀直哉の似顔絵の下に作者名として「バーナード・リーチ」と書かれていました。日本民藝館で初めて目にしたと思っていたこのお名前、高校生時代にも視界には入っていたはずなのでした。
当時は、作者名・作品名や白樺派という一派があったことを頭に入れるくらいがやっとだったと思います。どういう社会的背景があってどんな考え方が生まれ、そういった思想を持った人たちが文学を含めた様々な芸術作品でどんな表現をしていたのか、今更ながらもっと学んでみたいと思います。
参考文献:
『バーナード・リーチ日本絵日記』(訳:柳宗悦、補訳:水尾比呂志、講談社学術文庫、2002年)
『リーチ先生』(原田マハ、集英社文庫、2019年)
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