「言語の本質は忘却にある」?

言葉の在りかたについて人の考えを聞くのが好きだ。最近『エコラリアス 言語の忘却について』(関口涼子訳、みすず書房)という本を、タイトルに惹かれて手に取ってみた。

著者のダニエル・ヘラー‐ローゼンはカナダの言語学者で、イタリアの思想家アガンベンの翻訳者として著者本人にも信頼される俊英とのことだ。

この本の主題は「言語の本質は忘却にある」という、一見奇妙なものだ。学生時代の外国語学習で、何度単語をノートに書いても、辞書をめくってもすぐに忘れてしまい苦労した覚えのある者には、頭の中に疑問符しか浮かばない。しかし読んでみると、言語が忘れられる、無くなる局面にこそ、言語の本質が立ちあらわれるという現象が、さまざまな例を挙げて考察されていて、なかなか興味深いものだった。

たとえば幼児の喃語について。人間の赤ちゃんは生まれた時にはすべての発音に対応する能力を持っているが、母語を獲得するのと引き換えに、そこで使われない発音の能力は不要とされて失ってしまう。(チョムスキーもそんなことを言っていたような。)

ヘブライ語の特異な運命もドラマチックなものだ。
ヘブライ語の文芸は、ユダヤ民族の国が栄えた古代ではなく、むしろ民族離散(ディアスポラ)の後に、スペインやプロヴァンス地方で、その地のマジョリティ言語の韻律の影響を受けつつ花開いたという。
また、19世紀後半から形作られてきた現代ヘブライ語は、古代ヘブライ語を復活させたというよりは、当時多くのユダヤ人が住んでいたヨーロッパの諸言語やイディッシュ語の影響が大きいという。この時点ですでにイディッシュ語は衰退しつつあったが、こうやって新しく誕生した現代ヘブライ語の中に生き残ったというわけだ。

好きな作家エリアス・カネッティのエピソードが取り上げられているのも嬉しい。ブルガリアでスペイン系ユダヤ人家庭に生まれ、スペイン語の一種であるラディーノ語を母語とし、幼時から英語、フランス語、ドイツ語を学び、ドイツ語で著作を書いた人だ。この本では、彼をウィーンの小学校に進学させるべく、母親が自らドイツ語の特訓を課したときの話が、自伝『救われた舌』から引用されている。母親は「本は言語の学習にとって有害」という信念から息子に教科書を渡さず、ただ口による繰り返しで習得させようとする。しかしこの学習法はエリアス少年には合わず、すっかりノイローゼに陥り無口になってしまう。しかしこの経験によって、彼にとってドイツ語が「真の苦痛のもとに移植された母国語」となり、この言語との結びつきが終生揺るがぬものになったという。

そもそもバベルの塔の説話によれば、元々一つの言葉を持っていた人々がそれを忘れてしまい、めいめいが違う言葉をしゃべるようになったことから今の世界が始まっているのだから、たしかに忘却こそ言語の本質かもしれない。著者のヘラー‐ローゼンは、我々は未だにバベルの廃墟の中をさまよっていると言っている。

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