Teacup Made in Occupied Japan

食器棚の片隅に一組の古ぼけたティーカップとソーサーがある。
ロサンゼルス市郊外のパサディナで毎月第2日曜日に開催されるローズボウルフリーマーケットで手に入れたものだ。
全米カレッジフットボールの聖地であるローズボウルスタジアムの広大な駐車場に西海岸各地からアンティークディーラーが集まるこのイベントで、ひっそりと一組だけ出品されていたのがこのティーカップだ。
小ぶりなサイズからおもちゃのティーセットの一組なのかもしれないと思いながら手に取ると、カップの底にMade in Occupied Japanと記されていた。
Made in Occupied Japanとは、連合国軍最高司令部の占領下にあった第二次世界大戦後の日本において生産された製品を輸出する際に義務付けられた原産国表示で、「占領下の日本製」を意味する。
連合国軍最高司令部指令SCAPIN-1535: MARKING OF EXPORT ARTICLESが発令された1947年2月からサンフランシスコ講和条約が発効する1952年4月の間に日本で生産されたティーカップである可能性が高い。
このティーカップを手に入れたのは1990年代初頭のことである。その当時、日本は自動車をはじめとする工業製品の輸出が上り調子の貿易収支黒字国であり、 “Made in Japan”は高品質の代名詞であるとされていた。
ロサンゼルス郡のフリーウェイにはトヨタ、ホンダ、日産などの日本車が行きかい、日本企業の駐在員目当ての日系スーパーが次々とオープンしていた。リトル・トウキョウでは全米日系人博物館の開館準備が進んでおり、ボランティア活動を通して知り合った日系アメリカ人からは「母国が経済的に成功していることを誇りに思う」と言われたものである。
翻ってMade in Occupied Japan のティーカップはというと、くすんだ白地にバラの絵があしらわれているが、花弁とそれを縁取る金箔がほんの少しずれている。カップの糸底はソーサーにぴったりとフィットせず、ガタついている。精巧な作りとは言い難い。「精一杯やってみました」と訴えかけるかのような、洗練とは程遠いその姿になぜか強く引き付けられた。戦後の原材料も満足に手に入らなかっただろう時期に、限られた製造技術を駆使し、何とかして輸出できそうな製品を作りたいと知恵を絞った心意気が感じられる。“Occupied”の表示が不要になる日を願いながら、どれだけの試行錯誤の末、製品化にこぎつけたものか。どれだけのドルを稼げたものか。何人の手を経てロサンゼルス郊外までたどり着いたものか。Made in Japanが粗悪品の代名詞だった時代を経て、我が家の食器棚に里帰りした今、敗戦後40年あまりで世界有数の技術大国に上り詰めた日本のことをどんな思いで見つめているのか。
折に触れこのティーカップを取り出してはMade in Occupied Japanの文字を指先でなぞってみる。
「奢ることなく、精進せよ」と戒められているようで、背筋をすっと伸ばしてみたくなる。

<参考>
 SCAPIN-1535: MARKING OF EXPORT ARTICLES 1947/02/20 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

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