たぬき、外国人を虜にする

「何だ?ありゃ…」
もうずいぶん前のことですが、日本を訪れた外国の知人を観光がてら東京の下町に案内した時の事です。その知人は急に立ち止まると、少し驚いた表情を浮かべて通りの向こうの蕎麦屋を指さしてそう言ったのでした。

「あれ?蕎麦屋だよ」と私が至極当然に返したところ「そうじゃなくて、あの生き物だよ」と知人。
彼の指先には笠を被ってこちらを向いた「たぬき」がいたのでした。我々は通りを渡って蕎麦屋の前に行き、「あ、これね。たぬきの置物だよ、タヌキ、TA-NU-KI」と私。
「TANUKI?」
「うん、日本の動物。老舗の蕎麦屋さんとか飲み屋さんとかの店先にね、よく飾ってあるんだよ。確か商売繁盛とかそういうおまじないみたいなものだよ」
知人はしばらくの間その「たぬき」をながめつつ「これ凄い!デザインがとてもかっこいいよ。何とか蕎麦屋に頼んで譲ってもらってきてくれないか」といささか興奮した様子で訴えてきました。
「かっこいい」と言う言葉と彼の突然のハイテンションに多少なりとも困惑し固まっていた私に、彼は引き続き「たぬき」の捕獲を畳みかけてくるのでした。

…実はこの時私が困惑していた理由はもうひとつあったのです。
私は幼いころ、街中でよく見かけるこの置物に対しなぜか不気味な印象を持っており(タヌキサン,ゴメンナサイ…)、日も暮れた学校の帰りの道で、徳利片手に外に佇み、薄笑いを浮かべてじっとこちらを睨んでくる妖怪じみた生き物(の様に当時の私には見えたのです ゴメンナサイ…)に、子ども時分の私は恐怖心以外の何物も感じなかったのです。(当時の身長はたぬきの置物よりも少し高いくらいの背丈でした。なので、余計に。)

ゆえに、蕎麦屋に佇むその「たぬき」が当時の心境を思い出させる結果となり、興奮する知人の横で少し体を震わせもしていたのでした。

さて、
その時は彼の要求する「見ず知らずの蕎麦屋の店主に頼み込む」ことは丁重にお断りし、替わりに近所の古道具屋などを覗いて例の「たぬき」がないか探し回りましたが結局見つからず。彼の日本滞在中に「たぬき」の話題は度々持ち上がったものの、購入に至る事は無く彼は帰国の途についたのでした。(なお帰国後、母国の輸入アンティークショップで発見し、即購入に至った様です。)

それから数年が経ったコロナ明けの昨年、以前の盛況を取り戻しつつある浅草からもほど近い道具街に出かけたところ、とあるお店の前に外国人観光客グループと思しき人だかりが出来、あたりが騒がしくなっていたのです。なんだなんだ、と野次馬根性丸出しで覗いてみると、彼らが取り囲んでいたのは店先に並んだ小さな鉢植え程のサイズの「たぬき」たちでした。女性が多いそのグループはその「たぬき」にカメラを向け、しきりに「かわいい、かわいい」と写真を撮っているのです。人の好さそうな店主もニコニコ顔で「4000円、フォウサウザンドエン!」と商売に余念がありません。
結局「たぬき」は3500円(店主がおまけしていました)で購入されたのですが、一部始終を目撃した私は店主に尋ねてみました。

「食器とかは分かるんですが、『たぬき』も外国の人に人気なんですか?」
店主曰く「いや、それがね、日本の箸とか皿とかがやっぱ一番(人気)なんだけどさ、あれ(たぬき)を『かわいいかわいい』って言ってくる外国のお客さんが結構いるんだよ。別にテレビとかでやっているわけじゃ無さそうだけど、なんでかね。ネットとかで流行ってるのかねぇ。」

SNSでバズった話を聞いた事は無く(私の知る限りですが)、そもそもあの「たぬき」は所謂「業務用」で、一般の人が購入するものでも無いと思っていました。ですが、数年前の知人の熱狂と今回の外国人女性の楽しげな驚嘆を目撃し、我々日本人が慣れ親しんだ何気ない存在でも外国の人から見ると興味深く見えることがある、インバウンドビジネスでは重要な「外国人の目線」に改めて気づかされました。…そんなことを考えつつ、お店に並ぶ「たぬき」たちにふと眼を遣ると、幼いころの印象とは全く違うなんとも可愛らしい愛嬌のある顔で私をじっと見上げているのでした。

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