冬に読んで気分倍増の南極探検記二選

ああ寒い。今は2月、気温は最高12度、最低2度。昨年は猛烈に暑い夏が秋まで尾を引いて、冬なんか二度とやって来ないんじゃないかと心配していたのに。暖房代節約のため着ぶくれ状態で窓からの隙間風に耐えている今日この頃。
そんな冬こそ極寒の南極探検物語を読むのにピッタリ。相対的にみれば、寒い自分の部屋だって暖かくて安全な天国に感じられてくる。二冊ご紹介しましょう。

一冊目はアプスレイ・チェリー=ガラード著『世界最悪の旅』(加納 一郎訳、河出書房新社、2022年)。1922年にイギリスの南極遠征隊に参加した動物学者の手記。
隊長のスコットは、世界初の南極点到達をアムンセン率いるノルウェー隊と競う途中で遭難し、悲劇的な最期を迎えてしまうのだが、著者は基地に残ったので無事だった。ガラードが「世界最悪の旅」と呼ぶのはこちらではない。彼の目的はコウテイペンギンの卵の獲得だ。この鳥は冬に繁殖する。太陽が昇らぬ真っ暗な極夜、ときには零下60度を切る極寒のなか、隊員3名でペンギンの営巣地を目指した過酷きわまる探検行のことだ。
猛烈な吹雪が、テントや小屋を建ててもすぐに吹き飛ばしてしまう。やっと安全な場所を確保して寝袋に入っても安眠できるわけではない。呼気や皮膚から発散される水蒸気が寝袋の内側で凍り、固まった寝袋から脱出するのもひと苦労。仕方なく睡眠がとれないまま24時間歩き続けることに。辛すぎる。あなたなら耐えられます?
何とかペンギンの営巣地に到着し、卵5個の獲得に成功して帰途に。途中、近眼のガラードが足を滑らせて1個を割ってしまう場面は、なんと勿体ない!と思わず叫んでしまいそうになる(卵は胃袋に収めて無駄にはしなかったみたい)。
しかしなぜ、たかがペンギンの卵にこんな命懸けの遠征をしたのか? 当時、飛べないペンギンは爬虫類に近い鳥類で、その胚は進化の過程を解き明かす鍵だと考えられていた。卵を持ち帰って研究し、大英博物館に標本を展示することは、領土的野心とともに学術分野においても優位性を確立させたいイギリスの、国家の威信を賭けたプロジェクトだったようだ。

二冊目はジュリアン・サンクトン著『人類初の南極越冬船 ベルジカ号の記録』(越智正子訳、パンローリング、2022年)。先ほどのガラードの探検から四半世紀遡って1897年、ベルギーから南極点征服を目指して出発したものの、手前の南極海で氷に閉じ込められて越冬することになったベルジカ号のサバイバルを、現代のジャーナリストが丁寧な取材で描いたドキュメンタリーだ。
この南極行はベルギーの国家プロジェクトではなく、若き海軍士官ジェルラッシュが少年時代からの夢を叶えるべく一人で企画したものだった。資金は乏しく、船は中古、備品は不十分。人材集めにも苦労し、乗組員はベルギー人とノルウェー人の寄せ集め。ただし後者には後に世界初の南極点到達に成功するアムンセンも含まれていた。他にはポーランド人の地質学者、ルーマニア人の生物学者、そして医者として乗り込んだのが、北極圏探検の経験もあるフロンティア精神の塊のようなアメリカ人、クックだ。
夏も終わる頃、南米大陸から南極大陸に向けて航行中、日程が遅れて焦ったジェルラッシュ隊長は、独断で南に進むことを決めてしまう。案の定、やがて船は流氷帯に捕われ、身動きが取れないまま越冬することに。暗く寒い極夜で孤絶し、身体と精神を蝕まれる者が続出。医師クックは、奇抜なアイデアの数々で乗組員を治療する一方、アムンセンと共に、氷から脱出するための奇策を練る。
準備不足と数多の判断ミスがありながら、ベルジカ号は絶望的な状況を乗り越え、少ない犠牲(船員一名と猫二匹)で生還できた。その理由のひとつとして、コミュニケーションの複雑さがかえって良い結果になったと著者は指摘している。ベルギー人だけでもフランス語系とフラマン語系に分かれるうえに、ノルウェー人、ポーランド人、ルーマニア人、ドイツ系アメリカ人という多国籍集団なので、船内ではそれぞれの母語にラテン語を加えた「ベルジカ式ごちゃ混ぜ語」でなんとか意思疎通していたという。同じ言語が通じる者同士であれば、不安や恐怖といった生々しい感情が仲間内に瞬時に伝播してしまうが、母語以外の言語を使わなければいけない場合、考える時間があるので、抑制された表現になる。また、船長のルコワントは短気な性格だったが、上司のジェルラッシュに対して報告や提言をするときには、始終顔を合わせる間柄にもかかわらず、軍士官としての礼儀を重んじて手紙で伝えた。それが冷静で客観的な判断の助けになったようだ。
現在、ベルジカ号の体験は、NASAの火星有人旅行プロジェクトで参考にされているという。

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