
昨年末に叔父の四十九日法要と納骨を行った。
当日は良く晴れ、またちょうど紅葉の見頃でもあったため、境内には大勢の観光客が押し寄せ、鮮やかに色づいた木々を眺めたり写真を撮ったりしていた。どこかの旅行ガイドブックに載っているからなのだろうか、外国から観光に来たと思われる方々も多く、私が子どもの頃から行き慣れた寺とは違う場所なのではないかと錯覚してしまうほどの人出だった。
法要は昼前から本堂で行われ、その後お墓の方へ移動して納骨という流れとなった。私は仏花を持ちながら、親戚たちと墓地内の細道を歩いた。移動中、従姉が話しかけてくれた。
「叔父さんは競馬が好きだったでしょ。今日は日曜日だし、今頃は競馬場にいるのかなぁ。」
叔父は競馬好きのあまり、若い頃は地方競馬に関わる仕事に就いたこともあるほどだった。そうかも知れないね、などと答えていると間もなくお墓に到着した。すでに納骨の準備は進められていた。
墓石の下にお骨を納めてから墓前に花をお供えしたとき、どこからか一羽の白い蝶がひらひらと舞い込んできて、供えたばかりの花に止まった。
「あ、蝶。」
と誰かがつぶやくと、蝶は花から離れ、ふわふわと飛んで隣の花に移った。蝶はその後もしばらくその辺りを舞い続けた。そんな光景を眺めていたら、昔覚えた古典ギリシア語のΨυχήという単語が頭に浮かんできてしばらく物思いに耽ってしまった。
Ψυχή psycheは「蝶」を表すとともに「魂」も意味する。これほど異なる2つの意味が1つの単語で表されるのは意外に思われるかもしれないが、ギリシャから地理的に遠く離れた地域にも似た発想の単語があるという。ビルマ(ミャンマー)語のလိပ်ပြာ lippraという単語もまた「蝶」と「魂」を表すのだ。なぜこのような多義語が生じるかは専門家に説明を伺いたいところだが、あくまでも個人的な考えを述べるならば、人が亡くなった後、肉体を離れた魂は重力から解放されて宙にふわふわと浮遊するというイメージがあり、蝶の飛翔する姿がそのイメージと重なったからではないだろうか。
Ψυχήという単語から思いつくままに書いてしまったが、要するに私は、不意に現れた蝶の姿に目を奪われながら、あの蝶は叔父の魂ではないだろうか、との思いに捕らわれてしまったのだった。
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叔父は生涯独身であったが、子どもが好きで、私ならびに従兄弟たちが小さい頃はいつもプレゼントを持ってきてくれた。まだほんの子どもであった私は、叔父こそが本物のサンタクロースなのではないかと思っていたほどだ。いま、当時の叔父と同じぐらいの年齢になってみて初めて分かったが、プレゼントを選ぶのは簡単なことではない。まず子どもの年齢に合ったものにしなければならないし、おもちゃの流行もある、そして何より子ども自身の好みを知らないと、喜んでもらえるプレゼントは選べない。いつも優しくしてくれた叔父に改めて感謝を述べたい。
四十九日とは人が亡くなった後に魂がこの世に残っている期間だと聞いたことがある。これが仏教的に正しい理解であるかは覚束ないが、もしそうだとすれば、その間に叔父はようやく病から解放され、自由になってあちこち見て回ったのではないか。やはり蝶の姿になって移動していたのだろうか、あるいは馬が好きだったから、羽の生えた馬、ペガサスになって飛び回っていたのかもしれない。
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